「瞑想中には痛みを感じないというヨガの達人。
その脳内における痛みの行方」についての考察
大場 孝広
1. はじめに
川上光正師は「心頭滅却すれば火もまた涼し」の諺の境地を実証するため、1974年より針を身体に通して痛みと出血を制御するという修練を始めた。その結果、3年間で小さな針を頬や喉の筋肉に通すことが出来るようになった。その後、針の太さや長さを少しずつ大きくし、1978年には直径2mm、長さ20cmの針を、そして、1980年には、ついに直径3mm、長さ45cmの大きな針を舌や喉に通しても痛みを制御できるようになり、血液の流出もなく局部の損傷や化膿にも至らなかった。
サンフランシスコ州立大学教授で、ホリスティックヒーリング研究所所長であるエリック・ペパー博士と1998年より10年間に渡って行われた共同研究において、ヨガや呼吸器法・瞑想修法中の綜制(サムヤマ)の有想三昧での意識状態で、針刺しによる生理的な刺激、痛覚の制御をバイオフィードバック装置で記録・解明した。また2003年、岡崎国立共同研究機構(現国立自然科学研究機構生物学研究所)の教授で神経生理学、神経内科学が専門の柿木隆介医学博士との共同研究を実施した。MEG(脳磁気)及びfMRI(機能的磁気共鳴画像法)という2つの計測法を用いて、瞑想中におけるレーザー光線の照射による脳内神経活動の計測を行い、そのデータを解析することによって、脳が本当に痛みを感じていない事実が科学的に実証された。
この瞑想中による針刺し及びレーザー光線の照射において、完全に痛覚の制御をしている事実が、現在の科学の中でどうゆう意味を持ち、又、痛覚を制御するという事実が現代科学にどのような意義があるのか。
また、その痛みはどのようにして制御され、処理されるのだろうか。
2. 痛覚と神経機能
痛覚とは、人間の身体の中でどういう作用や役割をもっているのかということについて他の著書から引用する。
柳田尚著『痛みとはなにか』では、次のような痛みに関する記述がある。
「痛みはなぜ存在するのかというもっとも基本的な問いに対しても同様で、生体を正常に維持するための警報信号とする考え方には、一見大きな説得力があるように思われる。」
半場道子著『痛みのサイエンス』では、次のような痛みに関する記述がある。
「痛みの根源的な意味は、生体の警告信号です。いま危害や異常が切迫していることを知らせ、危険から身を回避させる、セキュリティ・システムの根幹である。」
また、「警告信号としての痛みは、生体を危険から逃避させ、生命維持のために意義深い感覚なのです。」
そして痛みを伝える神経機構については
「ケガをした時、最初に警告シグナルを発するのは、末梢神経の終末にある侵害受容体です。神経終末から始まった信号は、神経線維の中を伝わり、脊髄後角細胞に達します。そこから感覚投射経路を経て、上位脳の視床と大脳皮質感覚野に伝えられ、ここで初めて痛いという感覚が生じます。」
このように痛覚は、生体にとってなくてはならない生命防御反応であり、通常は自らの意志で制御できるものではないと考えられる。
3. 痛覚の制御
ヨガや呼吸器法・瞑想修法中の綜制(サムヤマ)の有想三昧での意識状態において次のように痛覚の制御方法を、川上師の著書『ヨガ修法学論』から引用する。
『麻酔薬を使用せずに痛覚と出血を阻止、あるいはコントロールするには、これまでの痛みに対する固定概念を根本的に変える必要があった。針を通すことに対して浮かぶ「痛い」「血が出る」という思考やイメージ、それに伴う不安や恐怖などの感情を「痛くない」「血が出ない」という強い思念と意志力で打ち消すことである。それは、針を通すことに対して、身体の防御機能を司る感覚中枢の神経細胞に「痛くない」という情報を脳に記憶させ自己の魂にまで伝えることでもある。この意識作業は、呼吸と瞑想と精神統一を連携して行う。』
癒しのA&A・スローヨガスタジオ